2021/02/17 銀閣の人 表紙の写真は東求堂の同仁斎、四畳半の畳の部屋は義政の集大成とされています。 同仁斎はミクロコスモス、収斂と拡大、内向と外向、この世界から無限のものを吸収し、かつ無限のものを奔出させる。 この部屋がその後の日本家屋の基礎となったのです。 義政は出家し、銀閣を寺としました。 それは室町幕府が滅びたのちも銀閣を残すためでした。 tagPlaceholderカテゴリ: コメントをお書きください コメント: 0
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