銀閣の人

表紙の写真は東求堂の同仁斎、四畳半の畳の部屋は義政の集大成とされています。

同仁斎はミクロコスモス、収斂と拡大、内向と外向、この世界から無限のものを吸収し、かつ無限のものを奔出させる。

この部屋がその後の日本家屋の基礎となったのです。

義政は出家し、銀閣を寺としました。

それは室町幕府が滅びたのちも銀閣を残すためでした。